思い出百景―1
「ねえ、知ってる?」
あの頃の僕たちは、ずっと信じていた。
「鍵を借りなくても屋上に行く方法」
そんなことはあるはずもないのに。
「本当に行くの? やめようよ」
「大丈夫。ばれないって」
だけどその時の僕らにとって、一緒にいることが当たり前で、一緒にいない事のほうが、あるはずもないことだった。
「だったら来なきゃいい。俺とこーすけで行くから、亮子は待ってろよ」
「ひどいよ駿ちゃん。私も行く」
体が大きく揺れる感覚。
「お客さん、終点ですよ」
僕が寝ていることに気がついたのは、駅員に起こされてからだった。
すいませんと寝起きのボーッとした頭で謝まり、僕は電車を降りる。
「変わらないな」
数年ぶりに帰ってきた僕の故郷は、数年前どころか、僕が物心ついた時から何も変わっていなかった。
ふと腕時計を見ると、時間まで大分余裕がある。実家に寄っても誰もいないことは分かっているので、地元の懐かしさを噛み締めながら、散歩をすることにした。
「その前に」
母さんに駅に着いたことをメールで報せる。母さんは昔からこうして定期的に連絡を入れないと、何かとうるさい人だった。どうせ後で会うのだから、連絡をする必要はないとは思うのだけれども、昔からの癖とは怖いものだ、反射的にメールを送ってしまう僕がいた。
「わあ、すごーい」
屋上に上がって最初に声を上げたのは、行くことを反対していた亮子だった。
「すげーな駿! どうやって見つけたんだ?」
京子とは違い、早く行こうと急かしていた香介は、亮子以上にはしゃいでいた。
屋上へと続く扉は、格子状に出来ていて、子供の手であればなんとか通すことが出来る大きさだった。僕はそのことを説明したのだが、この時二人は屋上からの景色に見とれていて、僕の話なんて聞こえていなかった。
首都圏から遠く離れた小さな町の小さなマンション。そんなマンション――そもそもマンションと呼んでもいいのか怪しいほどの大きさである――の屋上から見える景色なんて高が知れているのに、この時の僕らにはその景色が、世界を変えてしまえる程の大発見なのだと思った。
時間潰しを始めた僕が最初に向かったのは、香介が住んでいたマンションだ。特にこれといって理由はない。強いて言うのであれば、昔よく行っていた場所の中で、一番駅から近いからだろうか。
このマンションも変わらないな。いや、少し綺麗になっている?
「駿くんじゃないか?」
誰かに声をかけられた。振り返るとこのマンションの管理人さんがいた。僕らが子供の頃からここの管理人をしているので、自然とお世話になっていた。
「お久しぶりです。ぼくがここを出て以来だから、7年ぶりですか」
「おぉ、もうそんなになるのか。そりゃ俺も年を取るか」
ガハハと昔と変わらない笑い方で、少しシワの増えた管理人さんが豪快に笑い飛ばす。
「お前らはこの辺のチビどもの中で一番世話が焼けたからな」
「いやぁ、お恥ずかしい限りです」
「いいんだいいんだ。チビのうちは元気なくらいが一番だ。そういえば、お前らが屋上に上がってるって言われたときはびっくりしたな」
「そんなこともありましたね」
3人で屋上に上がったとき、屋上からの景色に感動して数分。出掛けようとした住人に下から見つかり、管理人さんに伝えられすぐに屋上から出され、こっぴどく怒られた。許可なく上がったこともそうだが、ここには申し訳程度の柵しかなく、子供だけで上がるには少々危険な場所だったからだ。
しばらく管理人さんと話しをして、この町の現状を聞いてから別れた。この町のと言っても、ここのマンションの話と僕たち三人の話がほとんどだったのだが。
余談ではあるのだが、管理人さんはもう管理人さんではないらしい。3年ほど前に自分の息子に職を譲ったらしい。だとしても、僕の中では今も昔も管理人さんは管理人さんのままだった。少しシワの増えた豪快な笑顔を思い出しながら、次はどこへ行こうかと考え始めた。