思い出百景―2
「ねえ、駿ちゃん結婚って知ってる?」
あれは小学校低学年くらいの頃。近所の公園で遊んでいた時の事。
「結婚?」
「知らねーのか! 駿はだせーな」
亮子の急な質問に頭に疑問符を浮かべていた。この頃の僕は結婚どころか恋愛なんて存在すら知らなかった。亮子と香介がいろいろと言っていたが、僕にはなんのことかさっぱりだった。
「あのね駿ちゃん。結婚っていうのはね、好きな人と家族になることだよ」
合っているようで、何かが足りない。子供の知識としては十分な方ではあろう回答を亮子から聞いた。
「駿ちゃんは好きな子いる?」
今思えば、この質問は亮子からのささやかなアピールだったのかもしれない。こんな小さな子供がそこまで考えているはずもないのだが。
「好きな子?涼子も香介も大好きだよ! だから僕、香介と亮子と結婚しよう!」
そうじゃないんだよなと香介のため息と、俊ちゃんらしいねとい笑う亮子の顔はなぜか今でもはっきりと思い出せる。
香介の家と僕の家のちょうど間にある公園。僕らが一番遊んだ場所だ。その公園で休憩がてらタバコを吸っていろいろなことを思い出していた。そういえば、雪姉と初めて会ったのもこの公園だったな。
「こーうーすーけー」
僕らがいつものように公園で遊んでいたら、中学生くらいの女の子が香介の名を呼びながら近づいてきた。その人物の顔を見ると、香介はあからさまに嫌そうな顔をする。
「雪姉じゃんかよ。何の用だ」
それだけ言うと香介は立ち上がり、女の子の方へと歩いていく。
会話の内容は聞き取れる距離ではなかったが、香介が怒られているという事だけは分かった。しばらくしたら香介はそのままどこかへ向かい、女の子だけがこちらにやってきた。
「ごめんね。遊んでたのに」
状況がいまいち飲み込めず、いや別にと答えるのがやっとだった。亮子は人見知りなので、僕の後ろに隠れるような形で避難をしている。とりあえず僕は、一番の疑問を解決することにした。
「あの、お姉さんは誰ですか?」
女の子はそういえば初対面だったねと笑い、自己紹介を始めた。
「私は雨苗雪音。香介のお姉ちゃんだ。君たちもお姉ちゃんって呼んでいいよ。駿くんに亮子ちゃん」
香介の姉と知って、亮子が少し警戒を解いたようだ。僕の後ろから少し出てきた。
「お姉ちゃん?」
僕は驚いたように確認する。僕の言葉を聞いて、雪音お姉ちゃんは嬉しそうにする。
「ん~いいね、お姉ちゃん。いい響きだ。香介のやつ雪姉とか呼ぶからさ。お姉ちゃんなんて呼ばれたことないから、憧れてたんだよね。」
爽やかに笑う雪音お姉ちゃんがその時の僕には、中学生ということもありとても大人びて見えた。
「こら! 真っ昼間から公園でタバコ吸ってんじゃないよ。子供が来たらどうするの」
怒鳴り声でボーッとしていた僕の意識は、一気に連れ戻された。ボーッとしてはいたが、その声の主がすぐ誰か分かったので、さも初めから気づいていたかのように反応する。
「この公園誰も来ないじゃないか。雪姉こそ、真っ昼間からこんなところで何してるのさ?」
怒鳴り声の主は雪姉だった。この人はいくつになっても変わらないな。
「何してるのって、駿と同じ用事よ。それと、お姉ちゃんって呼べって昔から言ってるでしょ。最初はお姉ちゃんって呼んでくれてたのに。あの可愛かった駿はどこへ行ったのか」
「お姉ちゃんって感じでもないでしょ」
それもそうだなと爽やかに雪姉が笑う。初めて会ったあの日から雪姉も一緒に遊ぶことが増えた。そして遊んでいくうちに気が付けば雪姉と呼んでいた。香介の影響もあるのだが、やっぱり、お姉ちゃんという柄ではなかった。
あまり年の差がないのだけれども、大人な雰囲気が漂う。でも、友達のように接しやすい雪姉は、僕らの中にも簡単に馴染んでいった。
「雪ちゃんは彼氏とかいないの?」
僕らが中学に入学して何ヶ月か過ぎた頃、少しませてきた亮子が雪姉といわゆるガールズトークというやつをしていた。亮子の質問に驚いた様子の雪姉は、珍しく答えるまで間があった。
「そういうのは弱いんだよね私」
誤魔化すようにあさっての方向を見る。
「なんだそうなんだ。じゃあさ好きな人は?」
あははと乾いた笑いを漏らしたまま答えが一向に返ってこない。雪姉の様子がおかしいと思った僕は、話をそらそうと亮子に話を振ることにした。
「そういう亮子はどうなのさ。中学入って友達増えたみたいだし」
僕の質問で亮子まで固まる。何かおかしな事を聞いてしまったのだろうか? いや、そんなことはないはずなのだが。亮子の視線が、香介の方へと向けられている。しかし、香介はそのことに気がついていない。僕の気のせいなのだろうか。
「わ、私も好きな人とかは、いない、かな」
亮子の視線はいまだ、香介に向けられている。その様子を見て少し胸が痛む僕がいた。今思えば、この頃から僕は亮子を意識しだしていたのだろう。
「駿どうしたの?」
雪姉に声をかけられ、何でもないと誤魔化して話を終わらせる。その時の雪姉の表情は、僕以上に苦しそうだった。
思い出百景―1
「ねえ、知ってる?」
あの頃の僕たちは、ずっと信じていた。
「鍵を借りなくても屋上に行く方法」
そんなことはあるはずもないのに。
「本当に行くの? やめようよ」
「大丈夫。ばれないって」
だけどその時の僕らにとって、一緒にいることが当たり前で、一緒にいない事のほうが、あるはずもないことだった。
「だったら来なきゃいい。俺とこーすけで行くから、亮子は待ってろよ」
「ひどいよ駿ちゃん。私も行く」
体が大きく揺れる感覚。
「お客さん、終点ですよ」
僕が寝ていることに気がついたのは、駅員に起こされてからだった。
すいませんと寝起きのボーッとした頭で謝まり、僕は電車を降りる。
「変わらないな」
数年ぶりに帰ってきた僕の故郷は、数年前どころか、僕が物心ついた時から何も変わっていなかった。
ふと腕時計を見ると、時間まで大分余裕がある。実家に寄っても誰もいないことは分かっているので、地元の懐かしさを噛み締めながら、散歩をすることにした。
「その前に」
母さんに駅に着いたことをメールで報せる。母さんは昔からこうして定期的に連絡を入れないと、何かとうるさい人だった。どうせ後で会うのだから、連絡をする必要はないとは思うのだけれども、昔からの癖とは怖いものだ、反射的にメールを送ってしまう僕がいた。
「わあ、すごーい」
屋上に上がって最初に声を上げたのは、行くことを反対していた亮子だった。
「すげーな駿! どうやって見つけたんだ?」
京子とは違い、早く行こうと急かしていた香介は、亮子以上にはしゃいでいた。
屋上へと続く扉は、格子状に出来ていて、子供の手であればなんとか通すことが出来る大きさだった。僕はそのことを説明したのだが、この時二人は屋上からの景色に見とれていて、僕の話なんて聞こえていなかった。
首都圏から遠く離れた小さな町の小さなマンション。そんなマンション――そもそもマンションと呼んでもいいのか怪しいほどの大きさである――の屋上から見える景色なんて高が知れているのに、この時の僕らにはその景色が、世界を変えてしまえる程の大発見なのだと思った。
時間潰しを始めた僕が最初に向かったのは、香介が住んでいたマンションだ。特にこれといって理由はない。強いて言うのであれば、昔よく行っていた場所の中で、一番駅から近いからだろうか。
このマンションも変わらないな。いや、少し綺麗になっている?
「駿くんじゃないか?」
誰かに声をかけられた。振り返るとこのマンションの管理人さんがいた。僕らが子供の頃からここの管理人をしているので、自然とお世話になっていた。
「お久しぶりです。ぼくがここを出て以来だから、7年ぶりですか」
「おぉ、もうそんなになるのか。そりゃ俺も年を取るか」
ガハハと昔と変わらない笑い方で、少しシワの増えた管理人さんが豪快に笑い飛ばす。
「お前らはこの辺のチビどもの中で一番世話が焼けたからな」
「いやぁ、お恥ずかしい限りです」
「いいんだいいんだ。チビのうちは元気なくらいが一番だ。そういえば、お前らが屋上に上がってるって言われたときはびっくりしたな」
「そんなこともありましたね」
3人で屋上に上がったとき、屋上からの景色に感動して数分。出掛けようとした住人に下から見つかり、管理人さんに伝えられすぐに屋上から出され、こっぴどく怒られた。許可なく上がったこともそうだが、ここには申し訳程度の柵しかなく、子供だけで上がるには少々危険な場所だったからだ。
しばらく管理人さんと話しをして、この町の現状を聞いてから別れた。この町のと言っても、ここのマンションの話と僕たち三人の話がほとんどだったのだが。
余談ではあるのだが、管理人さんはもう管理人さんではないらしい。3年ほど前に自分の息子に職を譲ったらしい。だとしても、僕の中では今も昔も管理人さんは管理人さんのままだった。少しシワの増えた豪快な笑顔を思い出しながら、次はどこへ行こうかと考え始めた。
黒田書房、始まります。
初めまして、黒田鯉という者です。
このブログでは僕が書いた小説を不定期で上げていきます。
誰が見てるか、見てる人がいるかも分かりませんが、ほぼ自己満足のようなものです。
飽きたら読むのをやめたって構いません。
飽きられないことを祈りつつ、次はまだかと急かされるよう頑張っていきます。
なお、僕自身が高校時代に文芸部でふんわり書いていたのが全盛期で、実質素人状態なので、専門的なことは詳しく知りません。
それでも構わないという方は今後よろしくお願いします。
今月中に、分割になると思いますが、先日書いた1作目を更新予定です。